いくつになっても登り坂

栗原工業㈱ OB会「栗親」に寄稿

退職後の働き

近畿E地区 福井 英雄 (essei201705)

 思いおこせば退職して、早11年余が過ぎました。
早期退職であったため、再就職をし、集合住宅の一括受電・配電の小さな会社に勤めました。
そこでは高圧受電設備の計画から施工管理そして各戸メーターの取り付けなどを行いました。
兵庫、京都、滋賀、奈良、和歌山、大阪と関西一円を走り回りました。
 限られた場所に受変電設備を設置するのに各地の消防本部や電力会社に何度も通ったこともありました。そこでは、集合住宅の需要率、不当率および負荷率などの実体験をすることができました。いろんな失敗をし、謝りながらも約3年間勤め退職しました。

 退職後、兵庫県の技術士会に参加し、月1回の例会に出ている中で、仲間の勧めで技術士事務所を立ち上げました。個人事業主となり、帳簿の付け方から仕訳、減価償却費の計算、経費、貸借対照表そして青色申告など多くのことを学びました。

 東京に単身赴任していたころ、書道教室に通い毎年、「東京書作展」に出品しており、入選はしていたが6年目で初めて入賞することができました。今までは、硬い仕事ばかりの人生であったが、芸術の喜びを味わうようになりました。今も近隣市町の美術展に出品しています。

 技術士会の知人からある日突然に、海外の仕事をしてみないかと電話がありました。パレスチナ自治区ヨルダン川西岸地区の配電網の調査でした。とりあえず予防接種を受け、業務経歴書を早急に作るようにとの連絡。これが事の始まりです。採用されるとは思っていなく、とうとう現実になり、東京のJICA事務所で出発する前に概要説明があり、ますます不安がましてきました。内線分野ばかりで外線分野は経験がありません。英語も学生時代から遠のいている。
急いで送配電の学習、英会話の練習、TOEICの受験など必死でした。

パレスチナ 

 イスラエルのテルアビブ空港から車で数時間ラマラという中心都市に滞在し、約1か月間の調査業務でした。死海の脇を通り抜けて北方の郊外へ出るともう砂漠のような平原が続きその中にいくつかの村がありました。高圧(中圧)の配電線は問題ないが、低圧の配電線は老朽化して今にも切れそうな電線や電柱そして変電所がありました。
 村長の家に招かれご馳走になった。周りの家は本当に質素な住まいでした。まだ無電化地域も存在しており、そこで初めてプリペイド方式の電力メーターを知りました。
 電気工事会社の社長宅は立派な家でした。
テルアビブのJICA事務所からは毎日メールで暴動テロ等の安全情報が送られてきていた。
初めて防弾仕様の車に乗りました。
ここでの経験が次回の海外調査業務につながっていきました。

レソト王国

2か月後には1か月間、南アフリカのレソト国とマラウィ国に行くことになりました。これは元福田内閣の太陽光発電援助のための調査です。南半球に行くのは初めてでした。南中時には影が南にできるということと南十字星が見えるということです。
 レソト国の空港に着くと、紫色の「ジャカランタ」の花が満開の時で大変印象に残っています。日本でいう桜が満開の時でした。
 この時もまた新しいことの挑戦です。太陽光発電の系統連系と保護協調、パネルの架台の設計など。山南町のクリエイトセンターで5kWの太陽光発電の実証試験を行っていたことが小さな自信でありましたが。

マラウィ湖

 またここでも災難が待ち受けていました。レソトからマラウィ―へ移動中、到着した空港で預けていた荷物が出てこない。よくよく聞くとマラウィ―の別の空港へ行ってしまったらしい。
2週間の滞在期間の前日に空港に届き、その間は業務にも身が入らなかった。その上ホテルのインターネット接続がすべて無線になっていたため、ケーブル接続しか考えておらず、パソコンも無線対応になっていなかったので全くメールもできずダブルパンチであった。以後手荷物の中に着替え用の下着1セットは入れておくようにした。
 トラブル続きであったが、それでも、断層湖であるマラウィ―湖畔は美しいところであった。

その後、引き続いてルワンダ国の変電所改修及び配電網調査に参加しました。ここは未電化の地域が多く各国が競って支援を行っています。
1日中、配電計画の地域を未舗装のでこぼこ道を調査。調査団員からGPSを使って位置を記録してくれとの指示。そしてCAD の上でプロットするのだと。初めて耳にする技法を戸惑いながらも学ぶことができました。
次はベトナムのホーチミン市での高速道路照明の設計業務です。若い大学出の現地人がCADを使って設計していました。どのように照度計算をしているのか聞いてもなかなか説明しない。コミュニケーションがうまくできなかった。ここでは、通勤時のバイクの多さやその排気ガスの多さにも驚きました。低地のためか雨が降ると道路が水たまりになってしまい、靴を脱いで歩くことがありました。

ルワンダ国

東日本大地震が発生した2011年3月下旬に、再びルワンダに出発しました。次は電力公社の社員の技術指導(Capacity building)の業務です。3年間で発電、送電、変電、配電等の各専門家がそれぞれのトレーニング方法を構築するというものです。具体的に何をするのかよく把握しておらず現地についてからあれもこれもと要求が出て、もう二度とこんなことはすまいと思ったことがありました。しかし、自分にできることしかできないと腹を決めると何とか納めることができました。
 まず現地の実態を調査、現地のトレーナーを教育、トレーナーが地方から集まった社員を訓練する体制を構築。

ルワンダ トレーニング

電気工事士レベルのテキストと試験問題を作り20人ほどのグループを数回訓練することができました。地域柄日常生活では時間厳守できないが、訓練だと自覚すればきちんと守れるようです。試験後に合格証をを渡すと、皆嬉々としていた。このような勉強の機会を望んでいるのだと思う。
長期滞在出張では、観光旅行と違って人情がわかる。最初は同じ顔に見えたが、次第に顔の表情で喜怒哀楽がわかるようになってくる。
親しい友人は今でもFacebookの友人であり、近況を伝えてきてくれる。
定年後は、もうこれでいいかと思っていたが、いつになっても無学(学ぶものがない)にはなれない。

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